学会報告

開会式 学会長あいさつ

 皆様おはようございます!学会長を努めております鈴木由美です。このたびは、第23回東北作業療法学会にご参加頂きまして誠にありがとうございます。本学会には、東北各県はもとより、北は北海道から南は広島県までの600名を越える作業療法士にご参集頂きました。私をはじめ実行委員一同、心から感謝申し上げます。また、この学会を開催するにあたり、ご協力をいただきました、山形県、山形市そして山形県医師会、山形県理学療法士会ならびに山形県言語聴覚士会をはじめとする関係諸団体の方々に、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。さらに、本日は、ご多用のところ、開会式にご参列頂きました山形県健康福祉部長の大泉享子様、山形市福祉推進部長の栗原啓市様、山形県理学療法士会長の高橋俊章様、山形県言語聴覚士会長の田口充様に心から感謝申し上げます。

 本学会の第1回常任実行委員会は、2011年3月4日に開催しました。そして、学会テーマを「東北のちから!」としました。それは、何事につけても控えめで、ともすれば消極的に見られがちな東北人の気質を持つ私たちが、東北における作業療法の黎明期から蓄積してきた力を確認しようという意味でした。

 学会テーマが決まった1週間後の3月11日、東北は未曽有の東日本大震災に見舞われました。この場をお借りして、亡くなられた方々のご冥福と、被災された方々のお見舞いをこころから申し上げます。

 この大震災の影響で、3月末には、第22回東北作業療法学会の開催が中止となりました。1990年以来、幾多の困難を乗り越えてきた伝統が途絶えた瞬間です。そして、私たち実行委員は、第23回本学会の在り方を再考することとなりました。当時、報道では被災から復興へ向かっていましたが、実際の被災地は、まだまだ復興など到底考えられない状況にありました。私たちは翌年に開催する第23回本学会は、今こそ、東北の作業療法士をはじめ、リハビリテーションに従事する方々のちからを結集する時ではないかと思い、学会テーマを「今こそ、東北のちから!」としました。一度、途絶えた学会を蘇らせるために、私たち実行委員は、新生・東北作業療法学会と銘打って準備して参りました。

 そして、ようやくここ山形において、2011年3月11日以降の東北の姿とこれからについて話し会うことができます。

 本学会の準備は、前例に習った部分と前例に無い部分がございます。いずれも、たくさんの方々のご助言をもとに実現することができました。それはまさにこれまで蓄積された「東北のちから」であり、新生・東北作業療法学会を礎に、東北の未来、日本の未来、そして人類の未来に、希望の途を切り開いて行こうという、私たちの強い意思の現われです。そのことが、学会始まって以来最多の70演題と、最多の参加者を得ることに繋がったものと思っております。「東北のちから」を今日と明日の2日間、存分に発揮して参りましょう!

 最後になりましたが、本学会の成功が今後活躍する作業療法士達の想いをひとつにし、さらなる活力を与えるものであることを祈念し、学会長のあいさつとします。

学会の様子

閉会式あいさつ

 お疲れ様です。ようやく2日間の日程を無事終了することができました。今回は636名の参加をいただきました。本学会では、参加者の増員に対する会場の確保が難しく、そのため、皆様には多大のご不便をおかけしたことをはじめにお詫び申し上げます。

 東北の被災地はまだまだ厳しい状況にあり、そこに直面している方々の声を聞くことができたことは、私たちには、もっとも有益だったと思われます。また、災害に遭いながらも、自らの研究を続けてこられた方々においても、留まることのない作業療法の学術的発展に多いに寄与するものです。

 本学会は来年、福島県作業療法士会が主催する第24回東北作業療法学会に引き継がれます。本学会における福島県士会の方々の貢献はめざましく、開催県である山形県に匹敵する演題数を持ってこられました。福島県士会が直面する被災状況、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故は、誰もが知るところであります。その中で、来年の東北作業療法学会の開催を決断してくださったことに、心から感謝申し上げます。私たちは学会参加をもって、福島県士会の英断に応えて参ります。

 本学会の参加者の皆さん全員が、来年の福島県、再来年の岩手県での学会に参加し、東北を盛り上げてくださることを心中からお願い申し上げます。これこそ、一番の「東北のちから」です。皆様との再会を祈念致しますとともに、この2日間、支えてくださった沢山の方々に、この場をお借りしてお礼申し上げ、閉会のご挨拶といたします。

第23回東北作業療法学会総括

「今こそ、東北のちから!」

第23回東北作業療法学会
実行委員長 藤井浩美
(山形県立保健医療大学)

はじめに

 作業療法士(OTR)として社会に出てから約30年間、大小さまざまな学会や研修会の運営に携わって参りました。そのたびに思うことは、「学会運営の成果は、人と人とのつながりにあり、それが次のつながりを導き、まわりまわって自己研鑽につながる」ということです。私が第23回東北作業療法学会(本学会)実行委員長に任命されてからの約2年間、時折このことを想い出しては、本学会開催に向けた活動に取り組んで参りました。本稿では「今こそ、東北のちから!」を支える「つながり」に力点をおいて、本学会に対する私なりの総括をするとともに、これからの東北地方におけるOTRの連携について考えて参ります。

温故知新

 私が東北作業療法学会(東北学会)の運営に携わるのは、1991年(平成3年)9月28日(土)に津軽地方を襲来し、甚大な被害をもたらした台風19号(国際名:Mireille,国内別名:りんご台風)の直下で開かれた第2回東北学会以来です。その学会運営の印象は、あまりにも強烈であるとともに、その後の組織運営の礎ともなりました。そもそも東北学会は、前年の1990年(平成2年)9月29日に岩手県立中央病院の講堂から始まり、岩手県、青森県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の順に、9月最終週の土日に持ちまわり開催することを原則としました。この学会発足の背景には、山形県作業療法士会(山形県士会)が47都道府県の最後に組織され、県単位の活動が中心となることに伴う東北地区作業療法士連絡協議会の廃止にありました。県単位での活動が本格化することを見据え、東北地方におけるOTRの緩やかなつながりと学会運営のノウハウを身につけるために、東北学会が誕生したと記憶しております。東北学会総則第2条には「本会は作業療法の進歩発展を図ることを目的とする」とあります。

 私は第1回東北学会に参加した時に「自分と同年代のOTRが大活躍しているなぁ!」という印象を持ちました。当時、東北地方のOTRは332名であり、現在のどの地域よりも少人数でした。しかしながら、その頃の私には、各県作業療法士会(各県士会)の役員や一部の臨床実習指導者を除いて、東北地方のOTRを知る術がありませんでした。そのような中で、同年代の岩手県作業療法士会(岩手県士会)の人たちの活躍と第1回東北学会の成功に触発され、「来年の東北学会は、さらに盛り上げよう!」と青森県の仲間と意気込み、学会準備に取りかかりました。

 「学会は打ち上げ花火のようなもの」との例えを耳にしたのは、確かこの頃です。しかし、第2回東北学会を体験するまで、その本当の意味を理解することができませんでした。当時、第2回東北学会の準備には、平成元年に青森県で開催した第22回全国研修会のノウハウが用いられました。手元には当時のニュース綴りがあり、愛称アップルOTニュース第35号では、第2回東北学会への意気込みが書かれております1)。当時の学会予算は、各県拠出金2万円の計12万円と4千円の参加費で120名(計48万円)を見込んでおります。不足分を各施設からの支援金で賄う計画であり、合計110万円の予算が計上されております。運営資金が不十分であるため、ありとあらゆることころに「手作り学会」の印象が見て取れます。

 入念な準備の下で迎えた第2回東北学会ではありましたが、図らずも自然災害の洗礼を受けました。学会当日の朝、台風19号が青森県を通過し、落下したリンゴで津軽平野が真っ赤に染まった光景は、今でも脳裏に焼きついております。何とか学会本部にたどり着いたものの、電気も電話も水道も鉄道も高速道路も不通でした。いくら事前準備を万全にしたところで、自然災害の猛威には太刀打ちできないことをつくづく想い知らされました。この状況では参加者は見込めないとあきらめもしました。しかしながら、20名の学会発表予定者が次々に参集し、最終的には、180名の参加者を得ました。不測の事態に陥ったものの、東北各地から駆けつけてくれたOTRの方々によって、第2回東北学会は開催にこぎ着けたのです。台風一過の翌朝には、抜けるような青空の中、東北人のつながりが如何に強固であるかを知ることとなりました2)。まさに、花火は打ち上げられたと感じました。

学会趣意書に込めた想い

 第2回東北学会から20年が経過した2011年(平成23年)1月24日付で、本学会の実行委員長の委嘱を受けました。私は第20回東北学会に参加した頃から、これまでの東北学会を振り返り、東北の現状と将来に想いを馳せておりました。私が所属する山形県作業療法学会(山形県学会)は年々充実し、日本作業療法学会(全国学会)は大規模化する一方で、東北学会はこのままで良いのであろうか?今後どのような方向へ進むべきなのだろうか?などです。第2回東北学会では、当時の東北地方の会員370名中180名が参加し、自然災害の最中、実に48.7%の驚異的な参加率をはじき出しました。それに比べ、同じく青森県で2009年(平成21年)に開催された第20回東北学会では、当時の会員3,164名中300名の参加であり、9.5%の参加率でした。これは同年に福島県で開催された第43回全国学会の参加率10.2%(35,004名中3,557名が参加)を下回っておりました。

 学会参加率のみで、学会の評価はできないものの、第20回東北学会の演題数は、24題と20年前の20題と代わり映えしない点に憂うつさを覚えました。それでも、第21回東北学会(秋田学会)に参加した時には、34題となり、発表者が増えることに期待感を持ちました。一方、秋田学会での懇親会は、20年前にロウソクの明かりを頼りに行った第2回東北学会懇親会の参加者数に匹敵しており、山形での東北学会開催に不安を感じました。私の不安をよそに懇親会の二次会で、山形県士会長の松木信氏が、「山形での東北学会には500名は集めるぞ!」と豪語しました。まさに、本学会の数値目標が決まった瞬間でした。

 学会開催に当たっては、企画から準備運営を統一的な考え方で見通す概念が最も重要であり、そのことは既に理解しておりました。そして、この概念を共有できる仲間の存在が必要不可欠です。学会長の鈴木由美氏との話し合いで、即戦力と次世代を担う委員を募って組織することとしました。そして、学会運営の要である事務局は、機動性と融通性を勘案し、山形県立保健医療大学に置き、佐藤寿晃氏に事務局長を委ねました。

 学会趣意書の作成に当たって重視したことは、簡素な学会準備運営、安価な参加費および魅力的な学会テーマでした。特に学会テーマは、第23回東北学会の顔であり、私たち主催者側の意志を表すものです。「何としても、東北地方のOTRのちからを山形に結集したい!そして、OTRのちからを県内外に示したい!」との想いから、「東北のちから-作業療法士の取り組み-」としました3)。その背景には、一昨年に山形県士会が法人格を取得し、任意団体から一般社団法人として認められたことの反映がありました。しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故は、私たちに計り知れない衝撃を与え、すべての構想を吹き飛ばしました。

今こそ、東北のちから!

 3月11日以降、「何かしなければ!」の想いが日に日に増しました。自分にできることを一つずつ着実に進めることが、被災した東北地方のこれからにとって重要であるとの想いは、全ての常任実行委員が共有しておりました。3月末には、第22回東北学会中止のお知らせが届き、1990年以来、幾多の困難を乗り越えてきた伝統が途絶えました。東北学会の黎明期を知る者にとって、第22回東北学会の中止は無念極まりなく、東北学会の終焉を感じました。しかしながら、次第に「生々流転」を受け入れれば、「終わりは始まり!」と考えるようになりました。

 そこで、学会テーマを「今こそ、東北のちから!」と変更し、一度途絶えた学会を蘇らせるために、私たち実行委員は、「新生・東北作業療法学会」と銘打って準備に取り掛かりました。この考えに立ってからは、全ての行動が迅速でした。東北学会のリーフレットとホームページ(HP)の公開を皮切りに、第19回山形県学会や第45回全国学会での広報に加えて、「学会長のつぶやき」「実行委員長の叫び」「事務局長のなやみ」ブログを次々に公開し、第23回東北学会開催に向けた気運を一気に加速しました。また、学会HPは、双方向性を念頭に構築することも心がけました。リレーメッセージでは、東日本大震災に対するOTRの具体的提案や行動、今の心境や要望などリアルタイムに掲載し、東北地方のOTRをはじめとして、リハビリテーションに従事する方々のちからを結集しようとしました。

 「今こそ、東北のちから!」を肌で感じたのは、演題募集を〆切った後でした。私たちの予想を上回る70演題の応募があり、学会趣意書で計画したスケジュールでは間に合わない状況になりました。特に、福島県からの応募が多数あり、苦境に立ちながら前進している仲間たちの想いに、熱くこみ上げるものがありました。「福島県で開催される第24回東北学会の礎になろう!」とのスローガンのもとで、さらなる学会準備に取り組みました。そこで、学会参加を促進するために、これまでよりも一ヶ月短い期間で学会誌を完成させるという一見無謀な取り組みを実行に移しました。この取り組みに当たっては、学術部長の奥山清彦氏に多大なご苦労をおかけしました。心から感謝申し上げます。まさに、上杉鷹山公の「なせば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」の心境でした。第23回東北学会誌を手にとって頂ければ分かりますが、第22号となっております。今後、学会と学会誌の通し番号は異なり続けます。これは、昨年の第22回東北学会が中止となったことを未来永劫に残すためです。

 さらに「今こそ、東北のちから!」を実感したのは、学会開催を一ヵ月後に控えた8月末のことでした。8月24日現在の学会事前申込者が223名と8月末の目標数400名よりも大幅に下回っておりました。私は東北各地の知り合いに、片っ端から学会参加の呼びかけをお願いしました。その結果、8月末には471名の参加登録となり、9月21日の事前登録〆切時には、東北地方のOTRが510名と目標値をクリアするばかりか、他地域のOTRや他職種並びに学生を含めると604名となりました。表には本学会と6年前に山形で開催した第17回東北学会の最終参加者数を示します。

東北の未来

 本学会の3日前、学会三役と運営部長の井上一樹氏は、山形国際ホテルで最終打ち合わせをしました。主な課題は、メイン会場が450席であるものの、事前受付で600名を越しているため、その対応でした。会期の途中でA会場とB会場のパーテーションを外して一会場使用が可能か?他会場からどれくらいの椅子が用立てられるか?など、タイムテーブルと照らし合わせながら可能性を模索しました。ホテル側も、自前の椅子のみならず、系列ホテルの椅子の調達や担当者の増員で対応することになりました。「今こそ、東北のちから!」は、学会場の山形国際ホテルの方々にもしっかりと伝わりました。

 本学会の前日には、東北学会役員会と交流会が開催され、東北学会役員と各県士会役員の総勢27名が参集し、これからの東北学会や東北地方の連携について熱い議論が交わされました。交流会では、東北地方の連携強化で一致し、東北学会とは切り離して、各県士会役員の交流を促進するための交流会を継続して開催することとなりました。この交流会の発端は、山形県士会の松木信氏や笹原寛氏が音頭をとり、岩手県士会長の達増浩幸氏をはじめ、岩手県士会の方々のご尽力で2012年(平成24年)2月18日と19日に盛岡市で開催されました。この会の継続開催が決定されたことは、東北学会の準備運営に当たった者として望外の喜びであり、今後の東北地方におけるリーダー養成につながっていくことを予感しました。「東北の未来は動き出した!」と実感しました。

 学会当日のミーティングでは「明るく!楽しく!元気良く!」を合言葉に学会運営を乗り切ることとしました。学会受付開始早々、大勢の参加者が来場し、熱気に包まれる様子に、東北の未来に光明が見えました。昼は理知的に学び、夜は情緒的に楽しむよう実行委員一同が最大限に配慮したつもりですが、参加された方々はいかがであったでしょうか?私は過去に「昼の科学(Day science)と夜の科学(Night science)」について聞いたことがあります。その要点は「アイデアは心が解放されやすい夜に浮ぶことが多く、その実証は地道な作業の連続である日中に進む」というのです。私はこれを学ぶことと楽しむことのバランスが重要と捉えております。本学会がそのような会になっていたとしたならば、うれしい限りです。

 東日本大震災関連報告とシンポジウムでは、3月11日以降のOTRの活動がよく理解できました。また、南相馬市立総合病院からご参加頂いた理学療法士の小野田修一先生のお話は、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故後に直面した南相馬市立総合病院の実情とそこで働く人々の心情を切実に感じ取ることができました。そして、私たちは、これからも継続的な支援を行っていかなければならないとの強い想いを共有しました。これからは、県単位のみならず、東北や全国のつながりを活用して、私たちOTRが被災地域の復興を支えていかなければなりません。そのためには、東北学会が学術と教育面から、東北各県士会交流会が人的面から支えて行く仕組みが必要です。それには、皆さんの英知を結集することが大切です。

終わりに

 花火師でもない私に、打ち上げ花火の工程を語る資格はありません。しかしながら、花火師が夜空に開く花火を鮮明にイメージしていることや、打ち上げ花火の各工程が真剣勝負であることは容易に想像できます。人事を尽くして天命を待つ!だからこそ、夜空を染め上げる花火は、ちから強く、美しいのでしょう。

 3月11日以降、これまでにも増して、「今」の大切さを痛感しております。それまでは、こころのどこかで、今日と明日は連続しているように思っておりました。しかし、東日本大震災は、私たちの今日と明日が決して連続していないことを示しました。同時に、今日と明日をつなぐものは、私たちの明日を考える理性と他者を想う感性にあることも実感しております。

 2012年(平成24年)9月15日の日本作業療法士協会理事会で今後の全国学会のあり方が決まりました4)。学会参加者の増加に伴って、地方都市での開催が難しくなってきているため、第50回全国学会からは、大都市を中心とする定点開催になります。開催時期を9月上旬に移動し2日半の日程で行います。しかし、収容人数が大きい大都市で開催しても、2日半で発表できる演題数には限りがあるため、今後の全国学会ではこれまで以上に演題発表が絞り込まれます。

 このような中、広域での学術研鑽の場として、東北学会の位置づけは重要度を増すとともに、人的交流を通じた次世代の人材育成の場としても非常に大切です。是非とも、2013年(平成25年)9月28日と29日に福島県郡山市「ビッグパレッドふくしま」で開催される第24回東北学会「新たな挑戦、こころと絆」に参画して、福島県を盛り上げて参りましょう!そして、2014年に岩手県で開催される第25回東北学会では、四半世紀を振り返るとともに、東北各地の人と人とがつながり、その「絆の強さ」を実感できるよう取り組んで参りましょう。「今こそ、東北のちから!」です。

謝辞

 本学会に際し、ご協力を頂きました作業療法士の福田恵美子氏、佐藤陽子氏、小野敏子氏に深謝致します。また、ご支援頂きました財団法人山形コンベンションビューローの佐藤友宣氏、株式会社大風印刷の佐藤勝吉氏、高橋秀章氏、山形国際ホテルの須貝雅人氏およびトップツアー山形支店の吉田康伸氏に謝意を表します。

文献

  1. 1) 藤井浩美:巻頭言-第2回東北作業療法学会に向けて-,青森県作業療法士会ニュース 35; 1991; p1.
  2. 2) 藤井浩美:20年前の記憶,リレーメッセージ. 2011;
  3. 3) 鈴木由美:今こそ,東北のちから!,作業療法ジャーナル.2012;1246-1247.
  4. 4) 小林正義:今後の学会運営に関する基本方針,日本作業療法士協会誌2012 10; p6.

表 第23回東北作業療法学会参加者(2012.10.26.)

第23回東北作業療法学会

12.9.1.現在
  参加者数aOT協会員ba/ba/c
青森県356035.8%6.7%
岩手県505579.0%9.6%
宮城県788239.5%15.0%
秋田県424519.3%8.1%
山形県21862934.7%41.8%
福島県9875213.0%18.8%
小計c5213,81513.5%100.0%
他地域15   
学生75
他職種7
招待者18
合計6363,815  

第17回東北作業療法学会

06.4.1.現在
  参加者数aOT協会員ba/ba/c
青森県173804.5%4.5%
岩手県233197.2%6.0%
宮城県7147115.1%18.6%
秋田県3528512.3%9.2%
山形県19532160.7%51.0%
福島県414429.3%10.7%
小計c3822,21818.2%100.0%
他地域    
学生41
他職種 
招待者
合計4232,218  

* 横は各東北作業療法学会の参加者数aと当時の日本作業療法士協会員数(OT協会員)b、各県の参加者数をOT協会員数で割った比率a/bおよび各県の参加者数を東北6県の作業療法士参加者数a/cで割った比率を示しております。

コンテンツ

  • トップページ
  • 本学会について

  • 特別企画

  • プログラム
  • 演題登録

  • 参加・宿泊申込
  • 参加者の皆様へ
  • 各種協賛申込

  • 会場案内
  • リンク
  • お問い合わせ

東日本大震災について

3月11日に発生した東日本大震災により、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
1日でも早く復旧、復興されますことを、心よりお祈り申し上げます。

第22回東北作業療法学会開催中止のお知らせ